前段
貿易会社に入社した1980年代終わり、国際貿易ルールはGATTによるものだった。ところが昨今、国際貿易協定は力や声の大きさで秩序が崩壊する事態に直面していると言わざるを得ない。ただでさえ、様々な地球課題に先進国と後進国の間で溝がある中で、このような課題への国際協調が益々難しくなる事態を助長している。昨今の米国の関税交渉に多くの国々が屈する中、どのような国際貿易ルールが望ましいのかを検討するため、これまでのルールの変遷をまとめてみる。

これまでの貿易ルールの変遷
1. GATTの誕生と理念
第二次世界大戦後、国際社会は保護主義の反省から、自由貿易を促進する枠組みとして1947年に「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」を設立した。GATTは、関税の削減と非差別原則(最恵国待遇、内国民待遇)を柱に、加盟国間の貿易障壁を取り除くことを目的とした。交渉は「ラウンド」と呼ばれる多国間会議で進められ、特に1986年から1994年のウルグアイ・ラウンドでは、農業、サービス、知的財産など新領域が交渉対象となり、GATTの限界と制度的強化の必要性が浮き彫りとなった。
2. WTOの設立と制度化
1995年、GATTの成果を引き継ぎつつ、より強固な制度として「世界貿易機関(WTO)」が発足した。WTOは、GATTの貿易ルールを法的拘束力のある協定として再構築し、紛争解決制度(DSU)を導入することで、加盟国間の貿易摩擦を法的に処理する仕組みを整えた。また、サービス貿易(GATS)や知的財産(TRIPS)など、現代経済に即した分野も包括的に扱うようになった。
WTOは「ルールに基づく貿易秩序」の象徴として、加盟国の平等性と透明性を重視し、グローバルな貿易の安定化に貢献してきた。しかし、加盟国の増加と利害の複雑化により、意思決定の停滞や交渉の長期化が問題視されるようになった。
3. 多国間交渉の停滞と二国間・地域協定の台頭
2001年に始まったドーハ・ラウンドは、途上国の開発課題を中心に据えた意欲的な交渉だったが、農業補助金や非関税障壁を巡る先進国と途上国の対立により、事実上停滞している。この停滞を受けて、各国はWTOを通じた多国間交渉よりも、より柔軟で迅速な二国間・地域協定(FTAやEPA)へとシフトしていった。
特に米国は、戦略的パートナー国との間で高水準の自由化を進めるFTAを積極的に締結してきた。ベトナム、ペルー、フィリピン、マレーシアとの協定では、関税撤廃率が非常に高く、これらの国々からの輸入が米国全体の約5分の1を占める。これは、WTOのルールよりも、米国の国益と交渉力に基づく「力の支配」が貿易政策を左右していることを示している。
EUもまた、WTOルールに依存せず、独自のFTA網を拡大しており、日本とのEPAやASEAN諸国との協定などがその例である。
4. WTOの機能不全と新たな課題
WTOの紛争解決制度は、米国が上級委員会の人事を拒否したことで機能停止に陥っており、ルールの執行力が著しく低下している。この制度的空白は、貿易摩擦の法的処理を困難にし、各国が自国の力に依存した対応を強める要因となっている。
さらに、AIやデジタル技術の急速な発展により、従来の貿易ルールでは対応しきれない新たな課題が浮上している。AIなどの新技術に関する国際秩序の構築には懸念があり、国際課税やデータ流通、プラットフォーム規制など、既存の枠組みでは不十分な領域が増えている。
今後の展望:ルールか力か
現在の国際貿易は、「ルールに基づく秩序」から「力に基づく交渉」への転換期にある。これは、法的安定性よりも政治的柔軟性を重視する動きとも言えるが、長期的には貿易の予見可能性や公平性を損なうリスクがある。 WTOの再構築や新技術への対応、途上国の包摂など、国際社会が協調して取り組むべき課題は山積している。今後の貿易秩序は、ルールと力のバランスをいかに取るかにかかっている。
自由貿易による世界経済の成長加速化と平和の時代から、経済のブロック化による経済停滞と和平の不安定化の懸念が増加する昨今、企業の国際戦略は大きな転換期を迎えている。